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ひな祭りの意味と由来は!ひとつひとつの意味には

2015年1月21日

3月の行事「ひな祭り」春の季節と華やかな雰囲気が女の子の節句にぴったりです。
今では見る事や触れることもできない、雛人形の世界や高貴な雰囲気は大人になっても魅力
的です。

そこで女の子にとって特別に感じるひな祭りにはどんな意味があるのか、どのように始まっ
たのかを調べて見ました。

ひな祭りの意味

ひな祭りは「3月3日」「桃の節句」と呼ばれ「娘のこれからの人生の幸福を願い」行います。
その時に飾られる「雛人形」そして「食べ物」「飲み物」は各地方によっても変わります。

3月3日

なぜ3月3日に行われるようになったのかと言うと

奈良時代の日本は唐(中国)からたくさんの事を吸収します。唐(中国)では上巳は3月の最初
の巳の日を意味し、その日は良くない日、縁起の悪い日となる事から川などの水で身を洗い流し
清める風習と「曲水の宴(きょくすいのえん)」が行われていました。

「曲水の宴(きょくすいのえん)」は流水に盃を流し、自分の前を通り過ぎない間に詩を作り読
む華やかな遊びです。

唐(中国)で行われていた

・3月3日の上巳節句、身を清める行事
・穢れを落とす日「曲水の宴(きょくすいのえん)」

唐(中国)では同じ日に行っていたのですが、日本では3月の月の行事として別の日に行われる
ようになります。

江戸時代になると徳川幕府は五節句を式日、祝日にしています。その中に3月3日を「雛祭」
とし、徳川家では式服で「雛祭」を行っていました。

この祝日は国民全ての祝日ではなかったのですが、やがて町民や庶民にも浸透していきます。
最初は3月3日とは決まっておらず、明治時代頃3月3日に行うようになります。

五節句は中国から伝わり、中国では奇数の月日の重なりはめでたい、縁起のいい日とし決めら
れています。

1月7日 人日(じんじつ) 「七草粥」
3月3日 上巳(じょうし)  「上巳節句」
5月5日 端午(たんご) 「午の日」
7月7日 七夕(しちせき) 「七夕」
9月9日 重陽(ちょうよう) 「陽数の極」別名「菊の節句」

桃の花

・桃の花は「災いを払う」「邪気を払う」

実は上巳節句とひな祭りが「桃の節句」と言われている資料はないのですが、日本や中国で
昔から桃の花には身を守る力があるとされていました。

5月に咲く菖蒲の香りや効能、どちらかと言うと力強いイメージから男児のお祝い事と端午の
節句が結び付いたように、3月に咲くふんわりと柔らかい香りの桃色の花と雛人形を飾る季節
で桃酒・桃花酒(とうかしゅ)を飲む風習があった事で結び付いたのではないかと言われて
います。

ひな祭りの食べ物の意味

ひな祭りをする時、決まって食卓に並べられる食べ物や飲み物があります。それらをひな祭
りに食べたり、飲んだりするのにどういった意味があるのかと言うと

白酒

「災いを払う」「邪気を払う」「長命」

中国では桃は「災いを払う」「邪気を払う」の他に美しく明るい女性を象徴する物でもあります。
仙人の存在を信じていた中国では、仙女が住んでいる場所にある不老長寿の仙桃を食べると
長命になると言われ、仙女の誕生日になる3月3日には宴を開いていました。

・中国では桃酒・桃花酒

その仙女が300歳まで生きたのは、桃の花が流れたきた時に桃の花を一緒に飲んだと言われ
ていたことで、桃の飲み物は体力も気力も充実し長生きできると言われるようになります。

桃を表す言葉の「百歳(ももとせ)」、桃は縁起の良い飲み物となって中国では桃酒・桃花酒
(とうかしゅ)を飲むようになります。

その風習、3月3日上巳節句が日本に伝わった時中国から桃酒も伝わりますが、日本流にアレ
ンジします。

・白をお酒、桃の花を赤としてめでたい白と赤を表現
・日本人にとって白酒の方が好みであった

これらの理由から白酒に変わったのではないかと言われています。

菱餅(ひしもち)

・「厄除け」「健康」
・「子孫繁栄」「長寿」「清浄」
・「魔除け」

中国の3月3日上巳節句で食べていた餅の団子が日本にも伝わります。

餅の団子には母子草(ははこぐさ)が使われていましたが、餅を作る時に搗く事が「母と
子をつく」と捉えることができる、縁起が良くない言われ「母」「子」の文字がない
よもぎが好まれ使用されます。

・日本ではよもぎの餅の団子だった

母子草(ははこぐさ)もよもぎも「厄除け」「健康」の意味を持っています。そこに菱(ひし)
の実を使うことで「子孫繁栄」「長寿」「清浄」の意味も加え餅にしていました。

菱餅は母子草(ははこぐさ)もよもぎの緑と菱(ひし)の実の白の2色でした。

はじめは2色でしたがクチナシを使い桃色(ピンク)の餅を加えます。桃色(ピンク)は桃の花
の色でもあり、桃の意味とクチナシの魔除けの意味が加わります。

ひな祭り菱餅の意味は!食べるべき理由には

菱餅を良く見ると順番が微妙に違ったり色が加わったり、そしてこの餅は食べる 事が出来るのか、飾るだけの餅なのか?昔から行われているひな祭りなのできっ と意味があると思い調べてみました。 緑・白・桃色(ピ ...

ひなあられ

・菱餅(ひしもち)と同じ意味

昔は春の頃山に近い地方では「山遊び」海に近い地方ではでは「磯遊び」をする風習があり
ました。その時に持っていった携帯用の食べ物があられです。

後に菱餅を細かくして焼いた物も持って行くようになりそれが「ひなあられ」になったと言
われています。関西ではあられが多く、関東では米を甘くしたポン菓子が使われています。

関東がポン菓子になった理由には、ひな祭りが始まる江戸時代頃干した米をあぶったり炒って
作るお菓子が流行っていたのでポン菓子を使うようになったと言われています。

ひなあられの色が菱餅の色と同じなのは菱餅を使っていたから、ポン菓子にも菱餅と同じ色が
付けられます。そしてひなあられもポン菓子も菱餅と同じ意味が加えられ食べられるようになります。

はまぐりの吸い物

・相性の良い結婚相手と結ばれる

海に近い地方では「磯遊び」をして海の幸をお供えしていました。貝類はこの時期が一番美味
しいので食べられるのですが、それだけでなく

2枚貝は同じ貝しか合わない=貞操の象徴=相性の良い結婚相手と結ばれる

はまぐりは縁起の良い食べ物で、夫婦が仲良く暮らせると言う意味もある事から江戸時代には
花嫁道具に1年分の貝合わせの貝殻を持たせる風習もありました。結婚式には開いた1つの貝に
貝の身を1つずつ置いて、1つの貝で2つの身を食べる習わしがあります。

ひな祭りのはまぐりも1つの貝から2つの身を食べる事でこれからの幸せを願うようにすると良
いのかもしれません。

ちらし寿司

ちらし寿司はひな祭り限らず祝い事の時に使われる食べ物で、春の季節と華やかな雰囲気が
ひな祭り向きでもあったため食べられるようになります。
ひな祭りに使われるちらし寿司の定番の具は

・えび「長寿」
・れんこん「見通しがきく」
・豆「健康にまめに働く」

これらの具は縁起が良いと言われるひな祭りのちらし寿司には良く使われます。

ひな祭りは江戸時代から始まるので、食べられる食べ物は、江戸好みや江戸での流行りが影響
しています。しかし、地域によって取れやすい食べ物は違うので

はまぐりが取れにく場所ではあさりやしじみ
母子草(ははこぐさ)の方が取れやすい場合は母子草(ははこぐさ)で餅
芽を出すと言う意味からわらびやよもぎを料理に使う

その場所で取れやすい具を用いてひな祭りはお祝いするようになります。

ひな祭りの由来

江戸時代、徳川幕府が五節句式日、祝日した事で3月3日は「雛祭」となります。
江戸時代以前、奈良時代頃に伝わった3月3日上巳節句

・穢れを落とす日
・曲水の宴(きょくすいのえん)

その「曲水の宴(きょくすいのえん)」の中に、ひな祭りと言われる前のひな遊びと穢れを
落とす災厄から身を守る日が吸収されたようです。

雛人形

・可愛い子供の人形

「雛」は可愛い、幼い、小さい、子供姿の意味に人形が合わさり、「可愛い子供の人形」と
言うの意味です。

雛人形は室町時代末期に京都で玩具としてたくさん作られ、当時人形(にんぎょう)は作った
人や店の名前などを人形に付けていました。その時に可愛い人形の意味になる「雛人形」も作
るようになります。

最初可愛い人形だけを作っていたのですが、男女を区別する「をびな」「めびな」の名前を持っ
た人形も単体で作られ販売されます。

・をびなは貴族の正装になる「衣冠束帯(いかんそくたい)」
・めびなは「十二単」

人形が着る服も自分では着る事ができない豪華な服を人形に着せるようになり、やがて
「をびな」「めびな」は一緒に販売されるようになります。

京都は皇室をしたっていた事から、天皇の住居の意味なる「内裏」を使い丁寧に言う
「お内裏さま」と呼び現在も続いています。
雛人形の飾られ方も雛壇や一緒に子供のお守り

・天児(あまがつ)と這子(ほうこ)
・守り雛

これらの人形も一緒に飾るようになります。玩具の域を超える程の豪華になった「男雛
(をびな)」と「女雛(めびな)」は簡単には手が届かない世界への憧れとその世界を目
指す思いも込め、飾られます。☞雛祭起原考

子供を守る「お守り」

昔から日本では草人形(くさひとがた)を作り人の身代りに災厄を引き受け、自分の身を清
める風習がありました。草人形(くさひとがた)は川に流したり神への目印、神が憑いてく
れる依り代にも使われます。

草人形(くさひとがた)を小さく作った物を、幼児の災厄を引き受ける天児(あまがつ)と
這子(ほうこ)と言う人形にしお守りとして持ち歩いていました。

お守りとして持つ人形(ひとがた)に規則はなく、持たす者が祭神の前で祓いをするなどし
おまじないのように持たせていたようです。

和歌山県の淡島神社には、女児を災厄から守りこれからの幸せを神様にお願いした男女の子供
の絵と「雛」の文字が描かれたお札があり、そのお札からお守りを作り広まります。このお札は
「守り雛」と言い、いつも身に付けるお守りで信奉者はとても多く現在も続いています。

雛人形は人形とお守りを一緒に飾った事から、特別な人形へと変わり、「人形」「お守り」
「子供への思い」が徐々に広がったのではないかと言われています。

特に昔は女性にとって結婚はとても大切で幸せにつながる重要な事です。
雛人形は最上級になる天皇皇后の結婚式を表現している飾り物。

・身の回りのお世話をする三人官女
・演奏する少年楽団の五人囃子(ごにんばやし)
・身を守ってくれる随身・随臣(ずいじん)
・雑務をこなす仕丁(しちょう)

嫁入り道具を加え5段、10段、15段と増えます。
貴族や武家では嫁入り道具に雛人形を一緒に入れたり、旅に出る時に災害や危険な事が
本人に起らないように、災いが降りかからないように持たせていました。

人形(ひとがた)や人形(にんぎょう)は女性や子供の災厄を受け継ぎ、守ってくれる大切な
お守りです。

徳川家とひな祭り

徳川秀忠の娘が中宮として入内した時、3月3日に「雛の宴」を開きひな遊びをします。
「雛の宴」のひな遊びがひな祭りとしての最古の記録だと言われています。

徳川家光の長女千代姫が3月5日に生まれ、7歳のお祝いには雛人形を贈られます。以後女の子
が生まれると必ず雛人形を贈るようになります。
徳川家にとっての「雛祭」は

・貴族・武家の行事
・穢れを落とす
・お祝い・宴

大切な行事で華やか物であったのかもしれません。

雛流し

雛流しは人形に身の穢れを移し、子供の成長と幸せを願いひな祭りの日に人形を流します。
雛流しには様々な説があります。

呪術師を加えて行う人形(ひとがた)
源氏物語で語られている12歳までの子供が人形で遊ぶ「ひいなあぞび」が大人になった時に
上巳節句の巳の日に宮廷行事の中で、自分の穢れを人形に移す「人形(ひとがた)」を呪術師
を加えて儀式として行う

草人形(くさひとがた)や守り雛
上巳節句の巳の日関係はなく、子供のお守りとする草人形(くさひとがた)や役目の終わった
「守り雛」を川や海に流す説があります。

個人でお祝いするひな祭りの場合にはお守りとしての草人形(くさひとがた)や守り雛から
行われたように感じるのですが、どちらも雛流しにつながる資料は残っていないようです。

今も昔も変わらない子供への思いから、ひな祭りでの雛流しは現在も行われている地域
もあります。

ひな祭りの時の写真を見ると、雛人形の前で嬉しそうに笑っていると言うより少し緊張して
いるような顔の写真が残っています。と言うのも

雛人形は触る時にも注意が必要で、自分で好きに飾る事ができない、遊ぶこともできない
人形、子供ながらとても大切な人形であることは理解できました。しかし触りたいのでそー
っと服やつるつるの髪、道具を触っていた思い出があります。

大人になるとひな祭りや様々な行事には、両親や祖父母達の思いを感じる事ができ、守ら
れていた側から感謝の気持ちに変わる。この気持ちが引き継がれていく事にも意味がある
ように感じています。

-行事

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